2019年1月:年始お宮詣り

年始は大和飛鳥界隈のお宮詣りを致しました。
まずは手始めに八咫烏神社へ来ました。こちらの神社は高台の端に建っていて裏手の南側には谷筋が通り絶壁となっております。
その神社の存在する五条野町は現在、谷筋に国道が通り住宅地として開発されています。

神社正面である北側は緩やかな丘陵地になっていて、古い街道が通っております。その辻に文久三年の灯篭が建っておりました。この村の人々が世の中の騒がしさには流されず自分たちの領分を守っていた証かもしれません。

八咫烏神社から北の方角になにやら変な物体が見えました。あまりにも奇妙なのでとりあえず立ち寄ってみる事にします。

近くまで来てみると古墳だということが分かりました。植山古墳という古墳で、文化庁やらなんやらが性懲りもなく史跡公園などというものを作ろうとしているようです。もういらんでしょう!文化というものは文化庁が決定したり、史跡を整備して産みだすものではないと思います。

そして古墳裏手の春日神社へとお詣り。ここはまだ新しいのか絵馬のようなものは飾っておりませんでした。

続いては植山古墳の北側にある素戔嗚神社へと向かいます。北側に向かって谷を降り、再度丘へと登りなおしました。

八咫烏神社、春日神社、素戔嗚神社には、植山古墳の石室の石材が踏み石として使われております。それが見たくて来たのですがそんなに違和感もなく使われておりました。
上の写真だと一番奥の白っぽい石がそうなのですが言われないと気づかないですね。
この石材は竜山石を使用していたようなので、また別項などで書いていきたいと思っております。

素戔嗚から丘の上を甘樫丘に行ければ良いのですが、便利なようで不便なのが住宅街で、結局また、来た道を戻る事になりました。
植山古墳に戻ってから東へと向かい甘樫丘を目指します。住宅から一線を越えると畑と林が広がり、突然の風景の変化に一瞬不思議な感覚に襲われます。
ここからは土が見えて地形をイメージしながら楽しく歩く事ができます。ひょっとすると現代人が快適の代価に失ったものはイメージの力なのかもしれないと最近つくづく思います。
そんな道を甘樫丘に向かっていると名もなき神社がありましたのでこちらにもお詣りしていきます。名前はないのですが「小山大明神」を祀っていたので「小山神社」でよいのではないでしょうか。
その土地柄の神様を祀っている感じがして雰囲気は良いです。

甘樫丘から景色を堪能し、岡寺へと向かいます。ここから車道を歩いて行ったのですが何故か非常に遠く感じてしまいました。
気分的に疲れ果てた頃に岡寺えびす神社にに到着。気を取り直して岡寺の参道の坂道を登って行きました。
すると岡寺ではなく岡本寺というお寺があったのでここもついでにお詣りしました。一人のお坊さんがいてなんだかせわしなく動いていました。邪魔をしては悪いので早々に退散いたしました。

しばらく登って行き、懐かしの民宿若葉を目にする。そのすぐ先に岡寺の塔が見えています。

岡寺は正月期間なので人で混み合っておりました。厄除けの祈祷をやっているので、それが目当ての方も多かったのかもしれません。
私たちは大仏を拝み、義淵僧正を拝み、岡寺中興の方が千葉出身の川俣氏であることを知る。これはたぶん廃仏棄釈の影響なのでしょう。

奥の院まで岡寺の庭園を散策し、石窟の中の文殊様に祈りを捧げ岡寺を後にしました。

そしてすぐ目の前にある治田神社へとお詣り。岡寺は賑わっていたのにこちらは誰もいませんでした。やはり厄除けの祈祷が目当てだったのでしょう。
この神社の由来は、ただ治田氏が昔祀っていたであろう、くらいしか分かっていないようです。
ただ、発掘調査もしているようで、凝灰岩の基壇などが発掘されたため、創建当時の岡寺はここにあったものと考えられているらしいです。

この治田神社を最後にお宮詣りを切り上げました。
小さな神社も大きなお寺も、人が居ても居なくても、どこの社も綺麗にされておりました。人の文明はすでに神の領域を侵そうとしているのに、それでもなにか理解できないものにすがろうとしている。そんな人の脳の奥に植え付けられているものが見えたような気がしました。