2019年1月:高田市ぶらり

いつもは近鉄大阪線「大和高田駅」で買い物に行くのですが、今回は近鉄南大阪線「高田市駅」で向かいました。(大和高田駅と高田市駅の間は徒歩20分ほどの距離がある)南大阪線のほうが、少々寂れた商店街があって私好みの街となっています。一方の大阪線は駅前にマンションやアパートなどが建ち、最近、大型ショッピングモールが完成したこともあり、町散策を楽しむ感じではありません。買い物先はこっちのほうが近いんですけどね。
昼ご飯は商店街の外れに位置している「サグン」でインドカレーを頂きます。ナンはおいしかったけど、カレーのスパイスが物足りなく水っぽいかな。

高田市駅から大和高田駅近くのスーパーに行く途中、色んな所を寄り道します。ぶらりぶらりと。
まずはこちら高田城近くの「八幡神社」。全体的に真新しい建築物となっています。

割り拝殿を覗き込むと、絵馬が所せましと飾られていました。「宇治川先陣」「八岐大蛇退治」をテーマにした絵馬にまじって長生きを祈ったような絵馬もあります。様々な施主(願主)が奉納しているのですが、絵図がどれも一緒なので近くに絵馬製作の職人がいるのかな?
また、拝殿前の狛犬が平成29年のものであるが、以前の狛犬は「天保10年(1839年)」のものであったことも、ここで知る事ができます。

ここは、元は「伊福寺」で八幡神社は寺の中で祀られていたと言う。明治時代の廃仏棄釈によって分離・廃寺になったのでしょう。中世の伊福寺は、興福寺の末寺として存続していたそうですが、遺物が五條市や葛城市に残されていると説明があります。なぜここから葛城山麓に移っていったのだろう?そんな謎が頭の中をぐるぐる駆け回る私たちをよそに、境内では午後の日差しをバックに数人がスマホに夢中になっていました。何のゲームかは判らないけれど、車社会になり通行人をめっきり見かけなくなったこのような地方都市の境内に、人の姿を目にするようになったという意味では、スマホの威力はすごいものだと思います。

さらに次は、高田さざんかホールの隣にある「不動院(大日堂)」を訪問します。非常に玄関が分かりにくいお寺でしたので、おそらく、道の通り方が昔と違っていたのだろうと思われます。商店街からさざんかホールに向かう途中にあるのですが、そこからぐるっと一周しなければ正面に行けません。

不動院の説明看板です。黒ペンで消されている部分は、「大和武士筒井党」とあった模様です。この説に異を唱える人が強引に消したんでしょうか。中世の大和武士はなになに方、どこどこ方と分けるのが難しく、非常に混沌としているのであえて「筒井党」と明記しないのが賢明かもしれません。そもそも為長氏は「筒井党」でもなかったみたいだし・・・。
あと、ここで1つ面白い点に気づかされます。高田城主が「当麻為長」氏だったと言うことは、高田氏の祖が当麻氏なんですね。さきほどの伊福寺における遺物が葛城方面に現存する理由が少し分かってきたように思います。