2019年2月:橿原神宮で紀元節を祝う

朝11時に橿原神宮へ到着。神武祭や奈良食文化祭など様々な祭りが行われる橿原神宮ではありますが、この日はいつもの祭りとは全く違う雰囲気が漂っています。
次々と訪れる参詣客は日の丸旗を手に、深々とお辞儀をしてから鳥居をくぐってきます。

厳かな儀式が遂行されるこの日は、他にも様々なオマケがついてきます。右翼の街宣車もそのひとつです。ナンバーを見ると、香川や広島、徳島など西日本が中心になっているようです。夜通し駆けつけて来たんでしょうか?それとセットで武装した警官が立ちんぼしているのも圧巻。

まだまだ続々とやってきます。道路法(?)が厳しくなったのだろうか、昔の記憶にある街宣車ほど騒々しくありませんでした。あのころは、日教組だの高教組だのワイワイ言っていたなあ。
ところでもう1つ特筆すべき珍しい参加者として、政党のテントがいくつか張られていたということです。在特会の桜井氏率いる「日本第一党」、桜井よしこ氏が主導する「美しい日本の憲法を作る国民の会」が、署名協力を呼びかけたり、マイクを握りしめて演説していたり、思い思いの活動に励んでいました。

やがて天皇からの勅使の行列が見えてきました。小道の奥には勅使館があり、そこで休息か宿泊してこっちに向かっているんだろうけど、一体どこから?相棒は「伊勢やろ」と言う。 なぜ伊勢? 「さぁ?」

神宮の拝殿を登っていく勅使です。奥の本殿前の参列に入るには事前の申し込みをした上で当日は早めに行って席を確保する必要があるので、入れなかった外野は拝殿廻りで一目見んとばかりに押し合っています。

本殿前を諦めてうろついていると、右翼の集団が列を作って拝殿に向かってくるではありませんか。最前列の旗持ちは「いっち、に」と元気よく掛け声をあげているのですが、続く人たちの足取りは心許なかった。これが「平和」となってしまった日本の姿なのかもしれません。拝殿前で立ち止まったその列は万歳三唱を唱え、次やって来た集団と場所交代していきました。

境内では色んな催し物が行われています。銃剣道という一見は「剣道」と似た格好と競技なのですが、竹刀ではない事に注目です。銃剣に似せた木刀(?)でひたすら「突き」を繰り返しています。

こちらは居合抜きです。まず神宮本殿に向かってお辞儀してから披露していました。橿原神宮への奉献武技ですね。

第二代天皇:綏靖天皇(桃花鳥田丘上陵)
初代:神武天皇陵比定地に色んな説があり、ここもその1つらしい。表参道の両脇の奥に古い道跡が所々あったのでかつては入口が全く違っていたのかもしれない。また、陵墓前の石碑に「文政八年に善行を積みたいと願主○○が石垣を普請した」という情報が読み取れますが、それが綏靖天皇に対する善行だったのかは、今となっては知る由もない。

初代天皇:神武天皇(畝傍山東北陵)
集落を退け、明治時代から改造に改造を重ね、仕舞いには奉仕隊を総動員させて今の姿に仕立てたという逸話が付いて回る有名な神武天皇陵墓です。畝傍山の東北に位置するこの陵墓は「四条ミサンザイ古墳」とも呼ばれ、さらに北に綏靖天皇陵墓こと別名「四条塚山古墳」、四条古墳群という最近調査が盛んになっている地区が並んでいる。四条古墳群の1つと認識されていたのだろう。

おまけ1、橿考博が再開未定の休業に入りました。

おまけ2、本日の昼ご飯。ほうらんやで。初めて行く予定だったお好み焼き屋が不定期休業中だった。店主も紀元節に参加した可能性が?

おまけ3、近鉄南大阪線と久米寺。梅がほんのり咲いていました。