2019年7月:大和郡山市ぶらり

何度か訪れている大和郡山。最近商店街付近の町並みが良いと聞いたのでぶらりと寄ってみることにした。

梅雨空の湿っぽい空気をさらに湿っぽくさせる大和郡山。低湿地にズラリと並ぶ金魚養殖田がその原因である。乾かぬ汗と不快感にとらわれ、少し汚い池の中で泳ぐ金魚たちに一瞥をくれ郡山の大地を踏みしめるのだった。
まずは昼飯に「とんまさ」へと立ち寄る。昼の1時前、4〜5組の人が待ち、その中には韓国人旅行者も紛れていた。
30分程待って入ったとんまさのかつ丼は写真のようなものだった。ブタと同じ厚みの卵の衣がついている。腹ばかりふくれ、肉感があまりない。たくさん食べる人には良いと思うが小食の私どもには少々しんどいお店だった。

昼食を終えた我々は郡山駅の東側に位置する柳町商店街へとやってきた。柳町は古くより住んでいた人々が集まって出来た町で、高野街道に沿った町並みだとパンフレットに書かれてある。道幅も当時のままらしい。
そんな商店街に「とほん」という本屋があった。最近、地味に流行っている質・量ではなく、雰囲気で売っていこうというお店である。長浜にあった「さざなみ古書店」や大阪にある「本はおやつ」といった店と似たタイプのお店である。
入ってすぐ右手に本屋があり、土間のような通路を奥にずっと入って行くと休憩所。さらに奥に行くとガラス工房がある。また、休憩所の少し先には2階、3階に上がる階段があり、2階はレンタルスペースとして部屋の貸し出しをおこなっている。
廊下には絵が飾っていたり、ところどころに金魚を入れた壺やら井戸やらが家の雰囲気に溶け込むように置かれていた。本屋を見てみたかったのだが、金魚の優雅さに見とれてしまい時間が無くなってしまった。

本屋を出ると「金魚電話ボックス」で有名な珈琲屋がすぐ向かいにある(商店街の所有だったらしい)。福島県芸術家にクレームを入れられ一躍有名になったが、現在は撤去してしまわれた。福島県芸術家が悪いように報道がされているが、芸術家はかなり前から訴えていたらしい。善悪の難しい話しだが、こんな電話ボックスに金魚を入れるだけで金になるからと、揉めるのが非常に不可解である。
ここの店主が言っていたが電話ボックスの掃除は1か月に1回やっていて、水を抜いた後、中に入ってゴシゴシするらしい。それがかなり大変との事だった。狭いので確かに大変そうだ。
ガソリンスタンドの跡を改装し、奥の事務所であった場所で珈琲を作り、給油場所にはベンチを置き座れるようにしている。かつて「金魚電話ボックス」があった場所には、今は大きい水槽が置かれ、騒動を知ってか知らずか、金魚たちは元気に泳いでいる。

我々もそうだが、ここにはネタに揺り動かされた数々の人民が来訪する。私たちを含め5〜6組の客が訪れコーヒーを買っていった。
こちらの珈琲屋は味に凝っていて、フルーティーな珈琲をだしてくれる。濃いいのと浅いのと2杯飲んでみたが、共にコーヒーの甘みや酸味が強く感じられるしろもので、苦味は薄かった。焙煎機も奥の事務所においてあり、見てるだけでも楽しませてくれるところであった。

珈琲屋の向かいは、参道の入口となっていて、郡山八幡神社へとつながっている。
参道の灯篭や鳥居だけでなく、拝殿もかなり立派な造りになっている。グローブを拝殿に飾ったり、コスプレ用の鎧なども置いてあった。さらに社務所では生け花の展覧会のようなものもやっておられた。

ちょうど祭りの準備の最中であったが、気にせずにお詣りしていく。
そんな中、古い建物の中に少し変わった屏風が公開されていた。屏風か襖のようなものにお札を並べて貼っているのだが、いったいどういった由緒がある品なのだろうか?今回は忙しそうで聞けなかったので、また日を改めて聞いてみたいと思う。

ここから噂に聞いた良い町並みの散策と相成ったわけであるが、私たちの目は町並みよりも、民家の玄関のインパクトのあるものにくぎ付けとなった。
御覧いただこう、これが世に言う柊イワシである。何かの縁起ものであることは間違いないのだが一体なんなのであろうか?
ちょうどご婦人が通りかかったので尋ねてみることにした。地元の人のようでかなり詳しく知っておられる。2月3日節分の日に豆を撒き、鬼を追い出した後で、再度鬼が入ってこないようにするためにイワシの頭と柊を差すらしい。だいたい1か月くらいしたらボロボロになって落ちるらしいが、基本的には差したままなので残っているのもあるそうだ。こんな行事も私らの代くらいまでで、今はもうあまりやる人もいないということも言っておられた。

この付近が東岡町で、昔、遊郭で繁盛した建物がいまだに残っている一画なのであるが、その事についても御婦人からご教示頂いた。今では数軒ほどしか残っていないが木造の3階建ては珍しいので見ていきなさい、洞泉寺付近にも小さい遊郭があったので行ってみるといいよ。とのことだった。
昭和20年の終わりから30年代にかけて、市川房江という女性活動家がいて、その人が社会に女性の尊厳を訴えかけて、ここの遊郭も無くなっていったらしい。農村から年季奉公として数年ここに閉じ込められるという事を考えると、廃止ということも致し方なかったのかもしれない。


この写真の建物は、かなりボロボロになっており、窓から中をのぞいて見ると奥の庭の方には光が差し込んでいた。天井も抜け落ちてしまっているのだろう。近いうちに取り壊しになってしまうかもしれない。

せっかく教えてくれたので洞泉寺付近の遊郭も見に行ってみる事にした。ここは残っていた95年前の遊郭の建物を少し手直しして資料館として使っていた。残念ながら時間がきてしまっていて中を見る事はできなかったが、見ている限り東岡町のものと同等かそれ以上の立派さである。小さいと御婦人が言っていたのは軒数の話しなのかもしれない。
珈琲屋の人も色々と教えてくれて、東岡町の遊郭は庶民派で、洞泉寺の遊郭は金持ち派だったそうだ。確かに洞泉寺の遊郭は浄慶寺と大信寺という2つのお寺に挟まれており、かなり違和感のある場所であった。

金魚、遊郭、三尺組、柊イワシ・・・、どこからかヒグラシの儚い鳴き声が響いてくる・・・、大和郡山の夕暮れと共に・・・・