2019年10月:四条遺跡現地説明会

季節がうつろい変わる秋の日のこと。重ね着の身体の固さを少しおっくうに思いながらも橿原神宮界隈を散策していました。
ふと顔を上げてみると、周りの空気とは少し違う熱気を帯びたグラウンドが目の前にあり、自分は四条遺跡の発掘現場前に居たのだと気づかされました。
この日は四条遺跡の最終発掘調査の現地説明会が開催されていたのです。
なるほど、この熱気は考古学ファンのものだったかと合点し、グラウンドのフェンス越しに進んで行ったところ、全ての人に公開していることが分かり、今回初めて現地説明会というものを聞いて参ったのです。

今回の発掘現場の四条遺跡は、奈良県医科大学のグラウンドを3年計画で発掘し、今年が最終年度でした。
ここ2年の調査では古墳や藤原京の建物跡などが発見されており、今回も期待されたものだったと思います。

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入り口を入ってすぐの所にテントがあり、今回の資料配布と発掘された土器が展示されていました。
さらに少し奥に入ると掘った土で盛り上げ固められた展望台があり、その下に今回の発掘現場と説明看板が立っておりました。
上の写真は説明看板に載っていたものに少し付け加えさせてもらったものです。

まずは展望台から発掘現場を見てみます。古墳跡や溝などきっちりと分けられているところは分かりますが、丸い穴のようなものや、溝のようなもの、白い線で囲われているがなんだか分からないものもたくさんあります。

発掘現場を歩いていて一番気になったのが下写真の地層です。上から40〜50センチ程は綺麗な層で埋められております。そこから下が本来の地盤だったところで、少し黒く水が染み込んでいるような土になっています。
その土にはギザギザした線が引いてあり、これは時代が分かりやすいように調査員がつけた線なのであります。

この地層というものが大切なもので、溝の一部分を残して地層の線を見せている場所や、上写真のように古墳の一部を堀り地層が見えるようにしている場所もありました。
また、井戸なども半分くらい掘って地層を記録した後に全部掘る、という手の込んだことをやっているそうです。

下写真は「溝9」と「西六坊坊間路」です。
私が見ても道だとはまったく判断が付かなかったので、何をもって道と判断しているのか聞いてみたことろ、両側に溝があることが最大の判断材料で、その他にも前回の調査したところや史料に残っているのもなどと比較しながら判断しているとのことでした。
確かにこの「西六坊坊間路」には両側に溝がありますし、前回の調査区で発見されている道にもつながっております、納得。
「溝9」も前回の調査区のつながりとなっておりますが、こちらは藤原京造営の為の荷物の搬入路であったと推測されているようです。
その理由として、「溝9」にかぶるようにして建てられていた堀立柱建物や「西六坊坊間路」の側溝が、この溝を埋めた後に造られていることです。
建物の判断基準も聞いてみましたところ、柱穴の跡が等間隔で発見されたものを建物と判断しているそうです。

藤原京が大々的に造営されたということが今のを見ただけで分かりますが、古墳も削り取ってしまっているようです。
6世紀初め頃の造出し付の円墳で、詳細は分からないですが、濠から円筒埴輪や馬型埴輪、家型の埴輪などが出土したようです。
そんな立派な古墳を削りとってしまうとは、今も昔もあまり変わらないものです。しかも、今になって後生大事に発掘しているのですから人間とは不思議なものであります。

下写真は藤原京時代の井戸です。四角に削った枠を使っているのが珍しいとの事でした。

さらにもう一つ井戸が発見されています。弥生時代の遺構で、素堀りの簡素な井戸らしいのですが、今でも水がどんどんと湧いてくるそうです。この井戸を塞ぐと別の所に掘った穴から水が湧いてくるらしく、この付近が地下水の豊富なところだと分かります。

現地説明会など行っても分からなくて面白くないだろうと思っていたのですが、意外にも面白い事がたくさんありました。
わずか1m足らず埋まったところに遺物があり、さらに下からは水が湧いてくるところもある。掘るだけだろうと思っていた発掘調査員も手間のかかることを色々とやっている事も分かりましたし、今回のように埋め戻す前に是非皆さんに現物に触れてもらいたいという気持ちもよく分かりました。
また近所でやっている事があったら立ち寄って、色々と思いを馳せてみたいと思います。