2019年10月:宇陀松山狛犬ぶらり

大和牛丼屋「件」へ味噌を取りに行きました。ついでといってはなんですが、神楽岡神社に鎮座している佐吉狛犬のように、他の場所にも佐吉の作品は無いものかと城山周辺を散策してまいりました。

時折、パラパラと降る雨の滴の心地よい刺激を感じながらぶらりと歩く。花崗岩好きなカタツムリがあちこちの石造物にくっつき、ノロノロと動くその姿についつい目を向けてしまいます。

まずは「件」で牛丼を昼食にいただきます。こちらの肉は大和牛を使い、葛でトロミをつけるという大変豪華な牛丼。少し変わった食感の豆腐や八角の香りのするゆで卵、自家製みそや漬け物も美味しいです。値段の割に量は少ないですが、当帰のお茶も飲めて贅沢な食堂です。
さらに、おしゃべり好きで料理好きな店主が色々と気軽に教えてくださるのも魅力的です。

今年3月に仕込んだ味噌ですが10月になりとてもいい具合に仕上がっていました。発酵した味噌の甘い香りがとても良いのです。井戸水や気候、家の菌など色々と美味しくなる要素があるのだと思います。

「食った、食った」とばかりに腹をなでながら店の外へと出てみると、いつもの閑静な宇陀松山と違い、周りがなんだか騒々しい。
それもそのはず、この日はアート祭りのようなものが開催されていて、芝居小屋で芸術家たちが特別なだしものをしており、そこへ来る客が次から次へと集まってきていたのでした。
写真はアート祭りの1つであるダリア祭り。宇陀はダリアの球根を多く栽培しているそうでこのような祭りを企画したらしい。
この路地だけなのか、他の路地でも開催されていたかは分かりません。私にとっては、どこを見ていいか分からない祭りだと思いました。

アート祭りはこれくらいにしておき、まずは、宇陀松山町の端に鎮座する愛宕神社の狛犬を拝みにいきます。
筋肉質のいかめしい狛犬で来るものを睨みつけ役割を果たしておりますが、鑑賞の用に足るにはもう少し優雅さが欲しいと思います。

続いては城山入口の春日神社の狛犬。天保年間のもので宇陀の萩原屋と大阪の筒井という方が奉納したようです。作師の銘はありませんでした。
こちらは顔がデカいので、全体のシルエットが不細工に映ります。今流行りの萌え系といえるかもしれませんが、別段かわいいようには見えません。

春日神社には色々な石造物が置かれていて面白かったです。元禄時代の手水鉢があり、下写真のような五輪の塔の地輪を使った水鉢もあります。また、説明看板が建っていることでより理解が深まります。
五輪の塔の説明看板によると、「側面に残された銘文により、鎌倉時代の「井行元」の作だと分かり、多武峰談山神社の十三重石塔にも「行元」の銘が見られ、大和南部で活動した石工と考えられています。この「井行元」は鎌倉時代の東大寺再建に関わった宋人石工「伊行末」の後裔で、伊派石工と言う。」
石工集団といえば「穴太衆」が思いつくのですが、「伊派」なる集団も存在していたことは新発見であり、今後注目していきたいと思いました。

続いては本殿前に控えていた狛犬。この狛犬は一風変わっていて、参拝者に対して驚いているような格好をしています。

鎖の飾りをジャラジャラとつけてスフィンクスのようでもあります。奉献者は大阪の十合という方で明治40年のもののようです。
スリムな体形で、身をのけぞらせているのは新鮮に感じますが、線が直線的で躍動感が無いのが残念です。

春日神社の参拝を終え、天理教がある裏通りを進んで行きます。西国33か所巡りの碑や庚申の塔がいくつかあり、人の活動のよすがを感じながら城山の裏手をのんびりと歩きました。
この上に曲輪があるのかと、山を見上げてみるもののまったく何も見えはしません。見えるのは地籍調査のピンク色のリボンだけでした。これもひょっとすると国史跡になったことによる問題なのかもしれません。

ピンクのリボンが続く道から集落の方へと入って行くと石清水八幡神社が鎮座しておりました。赤色が映える鳥居の急な階段を上がって行くと、本殿の正面に出て右手に狛犬の後ろ姿が見えてきます。
その狛犬の後ろ姿を目の端で捕らえた時に、これはひょっとしたら・・・、佐吉らしいのではないか?と思い慌てて前に回り込んでみました。

残念ながら佐吉のものではありませんでした。大正9年で神戸市の岡本さんが願主。作師は松山町の平井伊蔵さんです。
首のかしげ方や前足のなだらかさなどが佐吉のと似ているように感じます。作師の平井さんは松山町の方ですので、佐吉の作品を目にする機会も多くあり、自然と似たようなシルエットをイメージするようになったのではないかと思われます。

さらに集落の奥に進むと六柱神社というところがありました。同じ石清水集落ですが、こちらは狛犬が置いていません。
社の左隣の建物で数人の地元の方々が会合をしており、不意の来客に少々驚いていた様子なので「この付近で丹波佐吉の石造物などありませんか?」と、佐吉の事を尋ねてみました。
この付近でも記憶のどこかにあるようですが、ちょっと今すぐ思い出せないということで、少し違う場所だが「平井の大師山」に佐吉の石造物がたくさんあると教えてくれました。
丹波佐吉の名前がすんなりと通るところに、この地区の文化の土壌の深さがうかがえるのではないでしょうか。

最後に城山南東にある八坂神社へ立ち寄りました。狛犬は新しいもので、綺麗ではあるものの、特徴的なものが無く、狛犬をただ造形物として作っただけのように見えます。

残念ながら城山周辺散策では佐吉の狛犬は発見できませんでしたので、私個人が好きな久米神社の佐吉の狛犬を載せてこの項を終わりたいと思います。
訪問する人を少し疑わし気に見ているようなその表情、夕日にうたれながらの滑らかな姿。拝殿に映る影と照りつける光に、佐吉とそれを見る人々の思いが込められているのではないかと感じます。

このような特等席に佐吉のアート作品が飾られているということをみても、アートというものが作り手だけで生み出せるものではないと物語っております。
そこから考えを及ぼせば、本日行われていたアート祭りが単なる客寄せだけではないならば、自然と良いアートが生まれてくるのではないでしょうか。そう感じた1日でありました。