2020/02/15:宇陀ぶらり

宇陀にある香久山古墳を見に行こうと思い立った。開口していて自由に入って見学できるとの事で、雨が降りそうな空模様ではあったが出かける。そうだ、ついでにいつもお世話になってる件-kudan-(和食屋)にも立ち寄ろう。

昼食に合わせて件へ訪問し、女主人との世間話に花を咲かせる。世間ではコロナで大騒ぎしているが、宇陀ではまだ誰もマスクをしている人なんか居なかった。コロナについて一向に話題にのぼることなく、二時間も世間話をして次の訪問の約束をして後にする。

おしゃべりしすぎて、この時点でもう15時だ。急いで、中心地である宇陀松山町から外れて西へ歩を進めていく。だんだん家が少なくなってきて、田畑が続くようになる。我々が目指す香久山古墳は、音羽山の麓に位置するのでそこそこの高地にある。
香久山古墳は、田畑の続く道から急に上がっていく細い坂道の先に立つ「松源庵」というお寺の敷地内にあるということだけ、前もって調べておいていた。
坂道にようやく到着したところ文字がすっかりかすんだ看板が目に入った。時間もないし止せばいいのに、看板を観察し、「こっちにもお寺があるみたいだから行ってみよう」とグズるカシ男を引っ張って違う道に入っていく。

さんざん細道を辿ってくねくね上がっていくと、本当にこれはお寺か?というくらい寂れた建物が建っていた。年に数回しか使われていない、老人たちの集会所だと言っても通用しそうだ。
しかし、れっきとしたお寺であることは看板から分かるのである。「天香久山 天益山」とあり、山号が天香久山であることに興味を持った。いま捜索中の古墳も「香久山古墳」と呼ばれているものだ。音羽山から延びるここ端山一帯が「香久山」なのであろう。

説明看板によると残念なことに1999年の火事で焼失してしまったが、由緒のあるお寺だったそうだ。元は阿紀神社の神宮寺で、明治時代の神仏分離政策で現在地に引っ越して来たと言う。宗派はさきほどの高野山のポスターから推察するに、真言宗と思われる。ここで得られる情報はこれ以上のものはなかった。
ところで2020年現在もまだ再建中…なの?

天益寺より奥まった竹道に入ると、脇に祠があった。時々は拝みに来る人もいるのだろう、しめ縄やお供え用の器具が綺麗だった。無住のこのお寺より祠がメインになっているのかもしれない。

庚申塔と、恐らく弘法大師と思われる石碑が祠の近くにあった。こちらもお供えの花がいまだに枯れきっていない。ひっそりとしたお寺に、こういう通っている人の痕跡がちらほら見えるというのはいいものだ。

結局、この日は探し歩けども香久山古墳にたどり着けなかった。どうやら分かりにくい場所にあり、あらかじめ調べていかないといけなかったようだ。もしかすると、この三つの石碑が並ぶ先の竹道を行けば、香久山古墳につながっていたかもしれない。次回は、そうだ梅雨があけてすぐの夏に来てみようと思う。