2026/01/09
9:30に家を出て奈良県立博物館へ向かった。寒いけどいい天気の一日だった。季節柄なのか観光客の減少が目立った。御祭りに奉仕する巫女とその託宣の歴史が見たかったけど今回のテーマは「信仰と美術」だった。民間で行われていた春日講の様子が伺えたこと、春日興福寺と言ってもいいくらい密接だったこと、おん祭りには興福寺の僧侶がお気に入りの稚児らを出させていたこと、若宮を本社並みに引き上げた経緯(本殿の第三殿と第四殿の間の子供が若宮で母殿と一緒に祀られていたが世の乱れが激しくこれは若宮を一神として祀っていないからだと言われたから云々)の縁起物語があること、現・高畑町が春日の社家の町であったことを知ったのは良かった。一方で新しい神でありながら盛大に祀られるにいたった物語を支える背景、御祭りに巫女や託宣が関わっていく契機がなんだったのかをより知りたいと思った(
参考;2025年11月に春日大社へ遊びに行った時)「新たに修理された文化財」では根来寺伝法院伝来の鳥羽天皇御影(法要時に伝法院で使われていたらしい)が印象に残った。とても大きな御影であるところに大恩を感じていることが伝わった。展示見学のあとは昼食でる。弁当を狙うしつこい鹿とバトルしながらそそくさと済ませ、博物館の地下に戻り台湾のお土産に箸はどうだろうかと物色するが購入を見送り、西大寺の近鉄で箸を物色。購入せず帰宅する。
2026/01/03-06
竹内街道横断がたたったのか膝の痛みがひどく2日目は痛みが和らいできたと思ったものの腫れがひどく3日目にしてようやく病院で水を抜いてもらいまともに歩けるようになった。医師の指示によりお気に入りの靴を廃棄する。さよならわたしの相棒。年明けは1/3のCOOPで購入してもらった
福袋とスマホ小説で過ごした。
2026/01/02
さあ本日はK家新年会だ。そのために7:40に起床した、というのも磐城から美原の「さと」まで4時間10分かけて歩いていくための早起きである。磐城までオートバイで行き200円駐車場に預けてから
竹内街道に沿って歩いていく。この日は朝から寒く午後から大阪側で雪が降った。竹内街道博物館や平石峠に続く道も気になった。近つ飛鳥の道の駅で時計を見たら時間の余裕が随分とあると思ったので
孝徳天皇陵や
用明天皇陵に寄りながら歩を進めたが、これは誤った判断だった。大阪側に着いてからがとてつもなく遠く感じた。13:30集合に遅れて30分で到着した。一番高いしゃぶしゃぶの食べ放題コースだったがそんなに食べられなかったのが残念。制限時間が来たので退店し義母の病院へ全員で移動した。義母は孫と会えたのがうれしかったのか、とても反応が良かった。百舌鳥八幡宮に寄ってこの時になって今年初めてのお詣りをして、河内松原から磐城へそしてバイクで帰途に就いた。義弟のみゃくみゃく靴と2番目義兄との初めてのまともな会話が印象に残る一日だった。
2026/01/01
新年の朝は10:00近くの目覚めで迎えた。とてもいい天気に「新年あけましておめでとう!」。遅い朝食だったので畑に行くにしても中途半端な時間になってしまったと思案したところ、昨日の残ったおにぎりを持って橿原神宮と畝傍山に行こうということになった。普段はまったく人がいないのに多くの人が同じ方向に歩いていた。参拝行列は案の定混んでいたのでそこはやめて立ち並ぶ出店で値段をチェックして大阪城のぽったくり価格を語り合いながら畝傍山の山頂を目指し、そこで腹ごしらえをした。下山はまなごの庭コースのはずが
少しずれてしまい遠回りをして帰宅した。盗難によりまなごの庭が無関係者立ち入り禁止となっていたことに、日本人の質の低下を感じざるを得なかった。
2025/12/31
大晦日は21:30にお握りと水筒を携えて桜井駅から歩いて天満神社でお接待を狙い通りいただき、暗くて何も見えない
上宮遺跡を見学し、
聖林寺へお詣りをした。十一面観音像を全ての角度から見学できるように変わっていたので、姿勢や背中、頭の欠け具合が見れたことが新鮮だった。鐘を衝いてから次の三輪神社を目指すも足がなく眠気も重くなったので帰宅。2:00の橿原神宮前駅は若者がたくさんたむろしていた。そして向かいの実習生も夜更かしをしていた。