2019年2月:久米寺(橿原市)ぶらり

昨日訪問した見瀬丘陵の果てになる畝傍山、その山の麓に広がる橿原神宮の隣に久米寺があります。
橿原神宮から行く時は、近鉄南大阪線の線路をまたいで久米寺に入るのですが、踏切で「推古天皇誓願 来目皇子創建 真言宗根本道場 久米寺」「久米仙人舊跡」と彫った石碑を見る事ができます。
久米寺には「勝手口ルート」でしか入った事がなかったので、本日れっきとした山門を初めて見たのです。「霊禅山東塔院 真言宗御室派仁和寺別院 久米寺」という石碑により我々は新しい情報を得ることができます。多武峯寺衰退後は、仁和寺に移っていたのですね。

久米寺の全景です。多くの猫が昼寝や毛づくろいをしていました。人に慣れているようで逃げる気配がありません。猫たちと触れ合うことができ、ポケモン育成にいそしむ人達の癒しにもなっています。

聖徳太子の弟である来目皇子の眼病を直した薬師如来を祀ったとも、大和朝廷の軍事を司った久米部の氏寺だとも言われ、久米仙人伝説や弘法大師伝説も付随しており豊かな物語世界を有する久米寺ですが、由緒はよく判っていないようです。

重要文化財の「多宝塔」です。江戸時代に仁和寺から移して来たものなのだとか。もともとは、現在の多宝塔の奥に建っていたらしくて、「大塔礎石」として多くの大岩が残されています。その上に建っていた建築物は落雷による火事で消滅してしまったと言います。

また、インド僧が当寺に泊まった時に日本で初めて多宝大塔を建てて、三粒の仏舎利と大日経を塔柱に納めたという伝説もあります。もう1つ面白い伝説で、久米仙人が東大寺建立のために神力をもって全国から大石・大木を東大寺境内に運び入れたというお話しもあります。史実では、東大寺建立に尽力した僧は「行基」なのですが、ここに密教系仏教と奈良系仏教が伝説として仲良く絡み合って伝わっているのが興味深いと思います。

久米仙人の立像です。この仙人は、「神通力で飛行しているところを、川で洗濯していた女性の太ももに見とれて転落してしまった。それ以来、不思議な力は失われた」という物語もあり、私は子供の頃「漫画で読む歴史シリーズ」というような本で読んだことがあるのです。
こうして見ると屋根の上に乗っているように見えて、ちょっとコミカルな感じ。10月に久米仙人祭りというものが行われるらしくて、是非とも見に来たいと思っています。

その時は、本堂金堂に納められている「久米仙人自作の像」と、金堂の裏にある「益田池の硬写」というものも見てみたいものです。

境内に、二月堂や春日宮などと刻銘入りの灯籠が置かれていた事が気になり、南都宗教と久米寺との関わりを思案していました。
しかし、相棒は、以前天川村で聞いた「三鈷の松が久米寺にある」ということの方が気になるらしく、あちこち探し回っていました。挙げ句、本堂で土産物番をしていた坊主さんに尋ねるも答えが得られなかったらしく、数日後、三鈷の松を教えてくれた天川村の旅館の番頭さんにわざわざ電話をかけて「久米寺の事だったかどうか」と、確認を取っていました。結果、相棒の思い違いだったらしい。その執念深さ…いや、探求心のすばらしさよ。

色々な疑問が片付かぬまま山門を出ることにします。
日向ぼっこをしながら気だるい様子の猫や、公園で元気に遊ぶ子ども達を見ていると、早春のたわやかな季節を感じることができます。
そんな風景が作り出す優雅な空気を感じながら南へ少し歩いていると、久米御懸神社がありました。
見瀬丘陵の尾根沿いに歩いた事になるので高さは実感がなかったのですが、ほんの少しでも横道にそれると斜面になっていたりして「ここって高かったのか!」と目を見張ってしまいます。ちなみに下の写真は久米御懸神社境内の東側(本殿の後ろ)です。家が低く見えるので歩を進めてみたところ、崖のように急な断面となっていました。その差、1メートルくらいあったのではなかろうか。

久米御懸神社は、もともとは、久米寺の鎮守として「天神社」「久米宮」として崇められていたらしい。道理で「天神社」と刻銘の入った石碑、石垣がありました。

久米御懸神社の向かいには児童公園と物置小屋があり、物置小屋に隠れるようにひっそりと「来目邑傳稱地」と言う石碑が建っていました。
日本書紀の神武東征伝説にも地名が見え、垂仁天皇代には屯倉を来目邑に興すと記録があるそうで、その由緒ある地である事を知らしめる碑だと思います。

そして児童公園には、もうひとつ不思議な石造物がありました。公園への入口のど真ん中に大岩が置いてあり、シメナワを張っています。恐らく、説明看板にあった「境内地樹林のなかに臥龍石と称する巨石があり干ばつの時これを動揺すれば降雨あるとの伝説を伝える」の臥龍石のことではないかと思います。ですが、いかんせん、説明看板に書いてあるのと場所が全然違います。境内地でもないし、樹林の中どころか公園の入り口ですしね。
この説明とのギャップは、境内地がかなり縮小していることからきているのでしょう。

そして、この神社の最大の見どころを紹介いたします。それはこの狛犬です。おでこに垂らした前髪の奥から光らせているようなその眼、筋線を生々しく描き流したその足。足のすね毛(?)までもが美しすぎます。

石造物愛好家の間では有名な「佐吉」によって作られた狛犬です。花押と「信照」という名前によってそれを知る事ができます。
奈良県下で佐吉による狛犬を目にできたのはこれで2件目。あえて佐吉製作の狛犬マップを検索しないでおいて、行き当たりばったりで出会う。おのれの直感を信じ、これはあの人の作品に違いないと愛でる楽しみ。なかなか良い。

久米寺ぶらりでは様々な人が優雅に時を過ごしておりました。子供、猫、狛犬、坊主、ポケモン。
時を楽しむ行為というものが発達していればこそ、佐吉という芸術家に狛犬製作を依頼する下地ができるのです。
私たちも、この空間を味わいながら、来る久米仙人祭りに備えようではありませんか。